ご訪問ありがとうございます。
忘れさられて数ヶ月。。。
更新が滞ってから早数ヶ月、時が立つのははやいもので、記憶が薄れていくのもあっという間でしょう。おそらくこのブログを覚えている人は、世界で自分にそっくりな人がいると言われている数よりもすくない、、、、、と思う。
という事で、密かに再開させてみまーす。続くかな・・・・。
今朝は、珍しく早起きをした。
いつもは目覚ましがいくらうなろうともびくともしない僕なのに、今日はすーっと目がさめたのである。
うーん、これは不思議な現象。自分的にはかなり珍しいのだ。
そして、不思議な現象はまだ続く。
起き上がり、顔を洗い、歯を磨くと(ここまではいつも通り)、ジャージに着替えて外に出て行った。
なぜか、腕を上下させる自分。
ヒーヒーフー。
ヒーヒーフー。
ジョギングを始める自分。
ヒーヒーフー
ヒーヒーフー
断っておくが、出産ではない。
最近「何ヶ月目ですか??」と聞かれるくらいの勢いでお腹が出始めてきたのだ。
だからジョギング?
それってダイエットってやつ??
いやいや勘違いしないでいただきたい、僕がしたいのは、中途半端なダイエットでも中途半端な出産でもない。もとより出産などするきもないし構造上不可能に近い。たぶん、おそらく、たぶん。
自分磨きですよ。
なに格好いいこといってんの、とか言われそうだけれどもそんなことはどうでもいい。
最近怠惰な生活を送ってきた僕だからこそ、こうした行為が必要だと感じたのだ。
ダイエットはついでですよ。ついでネ・・・。
自分磨き=肉体的、精神的に自分が格好いいと納得できる姿を目指す行為
だと僕は思っている。
だから、このジョギングは手始めである。つーか続くか不安なんだけど。一応週3くらいのペースでやれたらいいな~なんて思っているのだけれど。今日はちなみに、20分弱を軽く走ってきた。
はっきり言って、
すんげー疲れた!!
こりゃ、明日筋肉痛まちがえなしだわ。膝がガクガクプルプルしてたもんよ。
自分がどれほど、運動をさぼってきたのかがよーく分かった。
さて、自分磨きの話に戻すと、朝もろくに起きれない、運動もしない、その上よく食べる、よく飲む、まぁ暴飲暴食ってやつだね、とにかく休日はだらけまくり、そんでもって最近は体調を著しく崩してしまう始末だったのである。
そこで僕は思った。
「このままではいけない。」
こんな俺は格好よくない!と。。。
最近立ち読みした本にはこんなことが書いてあった。
「まずは三週間続ければ、それはあなたの第二の皮膚となるでしょう。」
そんな、皮膚を分厚くしてこれ以上体の厚みを増やしたたくないのだが、その言葉には真実実がある。
よく、継続は力なり、というではないか。
まさにその通りで、自分磨きにはこれは欠かせないと思うのだ。
とりあえず、このブログとジョギングが続くことを祈って、今日の記事を閉めさせていただきたい。あぁあと、早起きもね!
立ち読みした本は以下だよー。
個人的には本は買ってでも読もう、と思っているのでちょっと失礼なことしたかな。
- ロビン シャーマ, Robin S. Sharma, 北澤 和彦
- 3週間続ければ一生が変わる―あなたを変える101の英知
ギャルを卒業したガール。働く女たち。
- 奥田 英朗
- ガール
奥田英朗の新作である。
ギャルを卒業したガールたちのお話。
みんな30を過ぎた働く女だ。
帯には堂々と、「30代、OL、文句ある?」の文面。
帯の裏には、この本を読んだときの効能まで書かれている。
ワーキングマザーがいたり、いつまでも若い格好の女性がいたり、旦那より稼ぐ妻がいたり、一回り違う男に恋してしまう上司がいたり・・・・・。いろんな30女が描かれている。
この作品は、数人の女性がそれぞれの話を進めていく形の短編小説なのだが、そのどれもが爽快感に満ちているのがいい。
奥田英朗の独特の描写で、おもしろおかしく話が書かれている。
30代OL、崖っぷちって固定観念がふっとんでしまうのだ。
僕には、30代の女性の悩みなんて分からないけれど、その悩みを絶妙に描けている小説ではないかと思う。男性の僕ですら、共感抱いてしまうのだから、女性が読まれたらさらに共感するに違いないだろう。
と、思った。
年をとり、回りも変化していき、結婚を考えたり、子育てを羨んだり、いろいろ思い悩むことはあるかもしれないが、それでも「働く女」を忘れない、譲らない姿は、「カッコイイ」と思えてしまうものがあった。
やっと復活。。。かな?
- ここのところ体調が悪くて、ブログもずっと休んでいた。
やっと復活!!
と言いたいところだけど、まだ万全とは言いがたい。
昨日は熱にやられて、おとといはおなかを壊していた。下痢ぺーだ。じゃなくてピーだ。
そんな中で最近読んだ本がこれ、
- 養老 孟司
- 超バカの壁
養老さんのバカの壁、死の壁、に続く作品。締めくくりの作品でもある。
この本では、特に「考え方」について述べている。
現代のおかしいと思うところは、考え方だという。
その辺を養老さんが、ズバッと斬っているのだ。
相変わらずの養老節炸裂ってところかな。
もともと養老さんの著書は好きで、以前は好んで読んでいたのだが、最近はめっきりだった。
様々な問題に対して、はっきりと自分の意見をもって言い切る姿が好きだ。
そこにはまちがっていることもあるかもしれないが、誰にも正解の答えなんてないのが人生だ。
それを分かった上で、出版物という公の場で、これだけのことを言える人はなかなかいない。
養老さんに言わせれば、自分がこんなことを言わなければいけないほど、世の中がおかしいのだろうけれど。
にしても、体調不良の中に熱の籠った一冊を読んだ気がする。
養老さんおそるべし!
メイプルクラッカー
無印良品のメイプルクラッカー。
これマジではまる味。
最近発見したのだ。
あんまりおいしいものだから、わざわざチャリンコ飛ばして、それだけを買うために寒い中となり町までいっちゃったし。
3個買ったし。
すぐ食べちゃったし。
こいつとコーヒーがあれば、昼抜きでもいいかも。
ちょっといいすぎ。
でもないかな・・・・
お菓子の開けると、メイプルの香りが漂っていい感じなんだよね。
クラッカーもサクサクで、メイプルシュガー入りのクリームとの相性も抜群。
当分マイブームになりそうだ。
無印良品のお菓子ってあまり食べたことがなかったけど、結構おいしいのね。
他のも挑戦してみようと思いつつも、やっぱメイプルクラッカーだろうな、と思っているのだった。
うーん、久々のブログだけど、こんな記事でよかったかな?
ちと疑問。
メイプルクラッカー食べてみてもいいかもしれませんよ。。。。
星々の悲しみ
- 宮本 輝
- 星々の悲しみ
大学受験のために予備校に通う少年。いつの間にか、予備校に通うことよりも図書館にいくことが多くなる。ついには126篇もの小説を読破してしまう。図書館でみかけた大学生のお姉さんに恋心を抱いたのがきっかけて通うようになったのだが。
おかしな二人組みに出会い、共に青春を分かち合っていく。少年の妹に恋をする草間とハーフのような綺麗な顔だちの有吉。
喫茶店「じゃこう」で盗みだした絵画「星々の悲しみ」。
少年たちの青春を巧みに描いた短編小説。
この作品にはタイトルの「星々の悲しみ」以外にも、いくつかの短編が収録されている。
時代はまだ結核が大病だった時を背景としている。
物語の締めくくりが、ハッピーエンドで終わるのではなくて、読み手にとっては消化不良のような締めくくりがおおくあった。
ただそれは、筆者が時代に投げかけている疑問符のような気がしてならない。
病気が治るだとか、青春の恋が成就するだとか、そんなことが目的でもなければ描いている作品でもない。
物語は終わっても人生は続いていく
小説が与えるものは単純に幸福に満ちた感動だけではなく、人生そのものになげかける「なにか」を感じさせてくれた気がする。
宮本さんの描くストーリーには、そんな深みを感じずにはいられない。
筆者が意図するところはまた別にあるのかもしれないが、僕が小説から読み取れたものが筆者が意図しない未知の部分を描けていたら、それはそれで良い作品だったということだろう。
銭湯。
昨日は雪だった。
都内で雪が積もるのは初めてだったので、ちょっと感動。
僕のうちの近くには、銭湯があるのだが、雪がシンシンと降る中、その銭湯に行ったりしたり。
寒い分、余計湯ここちが良かった~。
銭湯は、創業50年を迎えている、超がつくほどの老舗だ。
構造も昔ながらの銭湯という感じになっていて、男湯と女湯がしきられているのだが、その仕切りの上部は空洞になっていて湯同士が繋がっている。
だから、風呂上りには
「さきあがるよ~」
なんて声をかけあうことも可能(ちょっと恥ずかしいけれど)。
たまには銭湯もいいものですよ。
気分転換にもなるし、なんせ家の風呂に比べて大きい(と思う)。
最近は、その銭湯にかようのが習慣になっている。
銭湯!銭湯!
メール術!!
- 平野 友朗
- あなたの仕事が劇的に変わるメール術
久しぶりの更新で、この本。どうなんだろ。
まぁいいか。
この本は、良かった!
といっても、人によりけりだろうが(当たり前だ)。
メールの心のこめ方から、メールのさばき方、礼儀作法、、、、、
ちょっと意識するだけで、メール送信が劇的に変わるような内容まで含んでいる。
主にビジネスメールのための本なのだが、著者のメールに対する考え方は、私用のメールにもおおいに役にたつだろう。
結局人を相手にするものなのだから「こころ」が大切なのだ。
と著者は文中で述べている。
メール術の本なのに、「えっ?」と思わされた。
心が大切なのだ。心が。
ブログも同じな気がする。
心のないコメントやTBは、もらってもうれしくはない。
テキストだけでも、「こころ」がこもっているものと、そうでないものは文章から読みとれるものだ。
僕がこうして書いている記事もこころがこもっていない読者にはつまらないものでしかない。
(一人でも面白いと思っていただけたら幸い。)
テクニック的なものも大切かもしれないけれど、それ以上に心ある気遣いが大切なのだと思う。
この本には、そんな当たり前だけれど、難しいことが丁寧に書かれていたりもする。
昔の自由度・・・
- 村上 龍
- 限りなく透明に近いブルー
大学 在学中の1976年 『限りなく透明に近いブルー 』で群像新人文学賞 、第75回芥川賞 を当時最年少受賞。
今回読んだ作品は、村上氏の今を支える一つだといえる。
この作品から、彼の躍進がはじまったのだろう。
それにしても、内容に驚いた。村上氏の作品を読みなれているいる人にとっては、そうでもないのかもしれないが(僕も何冊が読んでいるが・・・)、その破天荒さには若い力を感じた。
破天荒という表現は適切ではないが、過激な要素を題材にした作品であった。
覚せい剤、マリファナ、乱交パーティ、リストカット、暴力・・・言葉を聞くだけで、凄まじい想像がかき立てられそうそうだ。
この作品が格式の高い芥川賞を受賞をしたのは、やはり時代の違いもあったのだろう。
今だったら、どうなのだろう?
文学という面でみたら、どのような題材でも問題ないのだろうか。
過去の自由度の高さに、また現在との違いが伺える。
内容は、とても24歳と若い年齢の村上氏が書いたとは思えないほどに、文章にもセンスが溢れている。こんな表現力があったのだから、この人は怪物だなと今にして思う。だからこそ今の村上龍があるのだろう。
ヤザキケン=村上龍?
- 村上 龍
- はじめての夜 二度目の夜 最後の夜
小説家ヤザキは、二十年ぶりに初恋の人に会う。アオキミチコ、かつて恋したその人も四十を過ぎていた。経過した時間とは無関係なのか、二人は「はじめての夜」を過ごす。エリタージュで食べる豪華な食事の数々、思い出される過去。どれもが懐かしくて、出される料理のように味わいぶかいものだった。
映画にもなって話題になった村上氏の代表作69。その作品にも登場してくるのがヤザキケンという人物だ。69は、村上氏の過去の話を題材に、小説化したもののようだが、今回登場してくるヤザキケンも内容からするに、ほぼ同一人物と考えてよさそうだ。若干の違いはあるだろうけれど(そこはあくまで小説だし)。
20年後のヤザキケンの姿が描かれている。しかも初恋の人からの電話からはじまる再会の物語。
料理の描写がものすごく細かかったのが印象的だ。それぞれの項目のタイトルも料理の名前になっている。
フレッシュフォアグラのソテーと大根の甘煮
キノコ類の軽いクリームスープ エリタージュ風
多久牛のポワレ 粒マスタード入りの香草風味
などなど、よだれが今にもたれてしまいそうな程の料理の数々。名前だけでお腹いっぱいになってしまうのではないか。そんなことはないか。。。。
項目のページには、料理のタイトルとその説明も書かれているからわかりやすい。料理の雰囲気だけでなく、本当に順を追ってコースを楽しんでいるような気分になってしまうのだ。その分お腹もすいてしまうのが欠点だが。
勘違いしないで欲しいのは、この小説は料理本ではないことだ。
初恋の人との二十年ぶりの再会がもたらすものはなんなのか、、、
お互いに家庭があるにもかかわらずに迎える「初めての夜」とは、、、
矛盾に頭が支配されそうになりながらも、その瞬間を永遠のように感じることが大切だとヤザキは思っていた。
不倫といってしまえば、それでおしまいなのだが。きっとそれだけではない、お互いの中にしかわからない綺麗なものがあるのだろうと、そんな予感めいたものを感じさせられる。
村上氏の著書69を読んでから、この作品に目を通すのもおもしろいだろう。
池袋ウエストゲートパークⅡ
- 石田 衣良
- 少年計数機―池袋ウエストゲートパーク〈2〉
最近嵌っているのがこれ。
シリーズを全て読みたいと思い、現在2作目だ。
この小説の良いところは、短編になっていて、どのストーリーから読んでも分かり易くおもしろいところだ。
他にもいいところはたくさんあるのだが(もちろん中身があってこそ)、シリーズ化されてて、尚且つ短編として楽しめる小説はなかなかない。
個々の話だけで、十分楽しめるのだから、筆者の力量が分かる。
まぁ石田衣良さんの作品だから、皆さんご存知のところだろうけれど。。。
相変わらず、ドラマのストーリーとは大分違っているけれど、それはそれで楽しい。
むしろその方が楽しいのかもしれない。
小説を忠実に限界まで再現しようとする努力もいいかもしれないが、それぞれの良い面(映像と文章の違い)を引き出すためのストーリー作りが必要だ。
むしろ映像で表現するのだから、小説とは異なっていて当然なのだろう。
僕は、映像の作品と文章の作品を比較することはあまりない。
比較といっても、「小説の方がおもしろい」だとか「映画の方が良かった」だとか、そういう次元の話だけれど。
それが悪いという話ではなくて、前述したように映像と文章は異なっていて当然の世界だと認識しているからだ。
だから、池袋ウエストゲートパークもドラマとしての良さ、小説としての良さが別々に存在するのだ。僕の中で。
単純に、「ドラマの方が楽しかった・・・・」といって読んでしまったらつまらないしね。
それに文章のいいところは、登場人物や描写を自分の好きなように、膨らませられるところにあると思う。
ある程度、筆者の意図するところはあるとしても、どんな文章表現も読者の頭の中で映像化するのは、個々の自由であるし、筆者の手の届かない領域であるのはまちがえないのだから。
だから、僕の頭の中ではマコトは長瀬トモヤみたいに格好いい顔ではないのだ。
シリーズ第3弾、第4弾と続きが気になるな~。
はやく僕の頭の中に映像化されるのを待つ。